サイトウ・キネンのキセキ

2003年6月4日

日本人は優秀だ、音楽で日本人の時代が来ると言いつづけた斎藤は、卒業生を初めてプロのオーケストラに送り出すときに言った。

『シンフォニーの勉強に行っておいで。そのかわり十年後には戻ってこいよ』

しかし、卒業生たちがオーケストラとして一堂に会したのは、斎藤が没してから十年が過ぎた年だった。

嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 (新潮文庫)

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桐朋学園の創設者のひとりで、小澤征爾藤原真理など数々の世界的音楽家を世に送り出した斎藤秀雄

その没後10年を記念して開かれた演奏会をきっかけに、年に一度世界中で活躍する斎藤門下生が集まってつくられたサイトウ・キネン・オーケストラ…。

そのロンドン公演(「プロムス」での演奏)の映像を初めて見たときすぐに浮かんだのは、数年前に同じコンサートホールで聴いたベルリン・フィルの演奏でした。

ウィーン・フィルと並んで世界の2大オーケストラと呼ばれるベルリン・フィルは、そのひとりひとりがソリストとしても超一流で、その集合体であるオーケストラでは、まず各々が最大限に個性を発揮しているのを強く感じました。

さらに重要なことに、個人個人が自分勝手バラバラになるのではなく、有機的な統一体となって、あたかもオーケストラが一つの生き物のような、おおきなうねりを創り出しているのが衝撃的でさえありました。

そのベルリン・フィルのプレイヤーと比べても遜色ないほどのサイトウ・キネンのメンバーが、それぞれの演奏技術をもって素晴らしい個性を発揮しているのは理解できるにしても、年に一度、2週間しか集まらない(集まれない)中で、全体としても見事なアンサンブルを創り出しているのは、指揮者の小澤征爾さんの力量に加えて、やはり原点を同じくする者同士だからでしょう。

例えば、サイトウ・キネンの初期の頃からのメンバーで、世界的なビオラソリスト今井信子さんは次のように述べています。

同じ師ののもとに勉強した桐朋学園の出身者を中心にしたということと、日本人であるということがうまく作用した特殊なケースです。…国民性がうまい具合にマッチして、世界から見たら驚くほどのオーケストラが出来たの。…普通は、日本人にこれだけの西欧音楽が出来ること自体珍しがられるんだけれども、私は更にその先をいって、私たち日本人にはこんなに凄い音楽が可能だというところまで世界にしってもらいたい、という気持ちがあるの

松本にブラームスが流れた日―小澤征爾とサイトウ・キネン・オーケストラ

松本にブラームスが流れた日―小澤征爾とサイトウ・キネン・オーケストラ

ところで、斎藤秀雄の教授法は、英文法学者である父の影響もあってか、音楽を徹底的に分析し、ひとつの曲に半年、一年の時間をかけて徹底的に基礎を教え込むというものだったそうです。

小澤征爾さんによると

…この斎藤先生の指揮のメトーデは、基礎的な訓練ということに関してはまったく完璧で、世界にその類をみないと、ぼくはいまでもそう思っている。

ボクの音楽武者修行 (新潮文庫)

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そのあまりの徹底ぶりに、例えば「演奏ロボットを作り出している」というような、一見芸術としての音楽の本質から外れてしまっているという印象を受けるかもしれませんが、まずもって音楽が身体に沁み込むまで徹底的にやって初めて、自分の個性をだした音楽表現が可能になるということでしょう。

サイトウ・キネンの演奏は、何よりも「心から音楽をしている」という真摯な気持ちが痛いほど伝わってきて、見る度、聴くたびに胸が熱くなります。

もちろんその演奏技術のレベルは言うまでもないのですが、それに加えて、日本人によるオーケストラが、西洋文化・伝統の結晶とも言うべきブラームスやベートーベンを見事に表現している、そしてそのことを誰よりも夢見ていた斎藤秀雄の死後、教え子たちが集まって創り出している…。

そういった様々な要素が絡み合っていて、なんだか戦後の日本人が西洋音楽にかけた情熱の縮図を、その演奏中に垣間見るような気がするのです。

そんなことを考えながら、ぜひ一度サイトウ・キネンの演奏を生で聴いてみたいと思いたって、毎年晩夏に松本市で行われているサイトウ・キネン・フェスティバルを調べてみました。

するとそのチケットが9000円から、ということで、さすがに二の足を踏んでいたところ、来年の春にロンドンでの演奏会があることを知りました。こちらのチケットは1500円からということです。

音楽を聴く環境としては、日本はまだまだなのかもしれません。