あの時の決断

2004年05月31日(過去の日記)

仕事に就くというのは、どのような状況であっても、あなた自身を試すことになるものです。何かの事情で前職を辞し、次の新しい仕事を探さなければならないという時、自分の過去のキャリアや実績にしがみつくのはやめなければなりません。自分をあまりにも大事にし、自分のプライドにこだわりすぎる人がいますが、そうではなくて、まず自分を無(む)にするところからすべてを始めなければなりません。

稲盛和夫「すべての仕事は人を磨く」(朝日新聞2003年11月23日)

今ではイギリスでの生活、そして自分の研究にどっぷりと浸かっているので、普段は忘れてしまっていますが、つい数年前は、「いったい自分はこの先どうなるんだろう?」と不安でしょうがない時期がありました。

大学の4年生になって、人並みに就職活動を始めた時、漠然と持っていた将来への希望は「世界を舞台にして働きたい」ということでした。別に大それたことをやろう、というのではなく常に外国文化や英語と関わっていたいといういたって単純な気持ちでした。

就職先は、そのときの希望にかなり近く配属も期待したとおり、海外営業部となりました。

入社後は忙しい日々でしたが、特別辞めようとか、転職しようという考えは浮かびませんでした。でも、ある日突然、それはもう本当に突然、辞めようと思いました。

理由はその仕事が、どうしても好きになれなかったこともありますが、それよりもむしろ、自分のやりたいことが、明確になった、ということの方が大きかったです。まだ進みだしてもいないのに、新しい道に、妙に確信めいた自信があったのを覚えています。

仕事をしているときは、本当にしんどかったのですが今思い出してみると、もっと苦しかったのは会社を辞めてイギリスに留学するまでの期間だったと思います。というのは、会社員であるうちは、どこに行っても「○○会社の」という肩書きが付きますし、自分でも少なくとも社会の構成員としての義務を果たしている(つまり労働して税金を払っている)、という安心感がありました。

ところが、会社員でもない、そしてまだ学生でもない、という身分というのは、もちろん日々の生活にあまり大きなプレッシャーはありませんがその一方で「何者でもない」不安感が常に自分の背後にのしかかって、どこに行っても居心地の悪い感じがしました。その当時は、「本当に辞めてよかったのかな…」と自分の決断を迷うことが本当によくありました。

つい先日までいい会社で働いていたし、まわりもなんだかちやっほやしてくれたという中途半端なプライドがなかなか捨てられずにいました。

今考えてみると、その気持ちは、多少やわらいでもマスターでイギリスに留学している一年間もずっとあったと思います。その証拠に、留学中もよく「会社に復帰する夢」というのをよく見ました。

そういう感情が本当になくなったと言えるようになったのは、本当に最近のことだと思います。結局、本当に自分に自信を持てなければこれまでの(ささやかですが)成功をすべて捨て去ってゼロの状態からスタートする、ということは相当に難しいものじゃないかと思います。

今では、あの当時のことを冷静に振り返ることができますが、それはきっと自分が新しい世界にきちんと両足で立って、それまでの自分ときちんと決別できた、ということなのだと解釈しています。

今では、本当にあの時、よく思い切って決断したものだと思います。もしあのまま会社に残っていたらその後の数年間の様々な経験と、いろいろな人達との出会いも全くなかったわけで、全然違う人生を歩んでいたわけですから、なんだか不思議な気分になります。