「長居」は禁物?

今日は朝から一日中ぱっとしない天気・・・。というわけで、なんだかいろいろなことを考えてしまいます。

もうすぐイギリスから引き上げてしまうのは寂しい限りですが、その一方で「今が環境を変える時期かな」という気持ちも強く感じています。

もうかれこれ、中断を挟みながら5年間もウォーリックにいるので、去ることが寂しくないはずはありませんが、ただ、だからといって無理矢理ここに居続けることで、今後より良い状況が生まれてくる、というわけでもないように思います。

「同じ場所に長い間居続ける」ということは、次第次第に緊張感を奪っていきます。

初めて来たときは、すべてのことが新しい。イギリスのシステムもわからない、英語もわからないことだらけなので、毎日本当に疲れましたが、その分毎日新しいことを吸収している感覚が常にありました。

僕は今では、マスターの1年が一番勉強したと思います。もちろん専門知識もなく、リサーチの方法も知らなかったので、決して効率は良くなかったと思いますが、その余裕のない状況が緊張感を生み出し、たくさんのことが吸収できたように思います。

PhDの一年目では、すでに2年イギリスにはいたので、生活面ではあまり問題がありませんでしたが、それでもPhDの日々の研究、フェローの仕事などはすべて初めてのことで、本当に毎日試行錯誤していたのを思い出します。

それが、1年、2年と経つうちに、慣れてしまって、まあ、毎年大体同じことを繰り返すということになります。その後もそれまで以上に努力して、これまで身につけたことにプラスしてさらに上達すればいいですが、なかなか実際には、「まあOK」というレベルで、とりあえずこなす、ということで満足してしまいます。

また、後からウォーリックに来る人もいますから、そういった知識、経験が一種の権威のようなものにもなってしまうことも問題かなという気もします。ただ何年もいるということだけで様々な生活知、勉強のアドバイスみたいなものを得て、それを新しく来た人たちに「教授」することで、なんとなくエライような気がしてしまったり。でもそれはただ「長くいたから」得られただけのようにも思えます。

なんだか、そういった諸々のことと、最近の「イマイチ調子に乗れない」状態と無縁ではないような気がするのです。「慣れ」や「驕り」が緊張感を奪ってしまっている。

なので、可能であれば時々環境を変えて、また頑張らざるを得ない状況をつくってやる、そうすることでまた緊張感も生まれてくる、少なくとも自分にとってはそんなことが言えるかなという気がします。その意味では、本当に良いタイミングで環境の変化を迎えることになりました。