一年半を振り返る

イギリスから帰国し、日本の大学に勤務を始めてから早1年半が経過した。4月から新しい大学に移るということで、この数日間は、改めて「イギリス後」の時間を振り返っていろいろなことを考えている。

イギリスから帰国して最初の半年は、日本とは言え、それまで足も踏み入れたこともない土地に住み始め、毎日大学での慣れない授業があり余裕のない毎日だった。そんな中でも、何よりも博士論文を書き上げなければならない、という明確な目標が日々の生活に緊張感をもたせてくれた。授業に関しては、なかなか思うように行かないところもありながら、大過なくこなすことができ、論文の方も、大学に行く前の朝早くに時間を作ることで、なんとか書き上げることができた。

去年の3月に無事vivaが終わり、ここ数年の大目標であった博士号を取ったところで、次の目標を失ってしまったような気がする。厳密には、その後も、PhDの研究を論文として発表すること、そして新しい研究を始めるという「次なるステップ」ははっきりと存在していたし、意識もしていた。ただ、その目標には「具体的なデッドラインがない」というところが問題だった。

振り返れば、PhDのときには「3年」という明確な期限が存在していた。約束された奨学金はPhDの最短取得期限の3年と決まっていたから、それ以上フルタイムの学生としてだらだらと研究を続けるという選択肢は最初からなかった。でもそのことが良い緊張感、集中力を生んでいたと思う。

それがPhDを取ったとたん、次の研究を仕上げるプレッシャーが完全になくなってしまったことで、研究を進めていく動力を失ってしまった。残念ながら、締切がない中研究を進めていけるような強い精神力は持ち合わせていないことはよくわかった。

そんな感じで、研究に関してはほとんど進展がなかったこの1年は、自分にとってどのような意味があるのだろうか?

改めて振り返ってみて、(車の運転以外に)もし何らかなの進歩があったとすれば、「授業力」以外にないのではないかと思う。自分の今の授業について満足しているというのではない。(おそらく受講した学生も満足していないだろう。)それでも、少しづつ(本当に少しづつ)ながら、自分の理想とする授業に近づいているような実感はある。

もともと、どうすれば日本の環境の中で「第2言語習得につながる授業」が実現できるか、ということが研究テーマである。ただ、自分が実際に経験し、できるようになる前に、まず研究をして博士論文を書いてしまった、というところに問題がある。その意味ではこの1年は、「実践」をなんとか「理論」に近づけようとした時間だったのではないだろうか。

確かに「研究」の具体的な進展はなかったけれども、「実践」を通して、より「理論」も理解できるようになったような気もする。「実践」から「理論」にフィードバックすることで初めて、「理論」に欠けていたことに理解が及ぶ。そのプロセスを通じて、理論に対する更なる理解が深まっていく。

そもそも、どちらか一方に偏ることは精神衛生上も良くない。日常である授業がおろそかになれば毎日落ち込むことになるし、研究をしなければ将来はない。「授業」か「研究」か?という二項対立ではなく、両方をバランス良く行っていくことが、今後の課題になる。