大学移動の手続き

かつ‐あい【割愛】
[名]スル
1 惜しいと思うものを、思いきって捨てたり、手放したりすること。「紙数の都合で―した作品も多い」
大辞泉より)

大学間を移動するには、「割愛」と呼ばれる大学界固有の(そして日本独特の)制度がある。会社間の転職であれば、現勤務先と新しい勤務先が連絡を取り合う、ということは通常ないだろうと思う。ところが、大学では、新しく勤務予定の大学の責任者(例えば、学部長)が現勤務先の責任者(例えば、学部長や学長)に、「割愛願」というものを出す。それに対して、現勤務校側が了承して初めて移動が可能になる。今では、この「割愛」という制度はかなり形骸化していて、通常了承されないということはないが、稀に何らかの理由で許可が降りない、ということもあるらしい。その場合は、辞表を出して辞任した上で、新しい勤務先に移ることになる。

それでは、正式なステップを経て(つまり割愛を了承されて)移動をするのと、辞任をして(つまり割愛が了承されないで)移動することに違いがあるのだろうか?

この点については、ずっと違いはないだろうと思い込んでいた。ところが、先日、先輩の先生とこの割愛のことに話がおよんだ。「無事、割愛がおりて良かったですね」と言われ、「でも、割愛がおりなければ、自分から辞めればいいんですよね?」と言うと、おそらくその場合は新しい勤務先での契約形態が変わってくる可能性がある、ということだった。つまり、給与などに影響が出る可能性がある。そんなことは全く知らなかったので、今回の移動に関してスムーズに行ったことにほっとした。

では、どうしてそのような違いが生まれるのだろうか?

これは個人的な想像だけれど、辞任することで、「一度大学のサークル外に出てしまう」(もちろん比喩的な意味で)からではないかと思う。つまり、大学人にとっては、どこの大学に属しているか、ということ以上に、大学の世界の中にいるかどうか、ということがより大事になる。「割愛」という正式なステップを踏めば、それは大学の世界内での手続きと見なされるが、一度辞めてしまうと、実質的に空白期間があるかどうかとは関係なく、大学サークルの外から入ってくる者、とみなされるのではないだろうか。

そう言えば、大学の就職活動を始める前、先生から「とにかくどこでもいいからまず「大学」と名のつくところに入ることが大切です。一旦、入ってしまえば、結構動きますから」と言われたことを思い出す。例えば、実家が東京で、大学も東京であれば、東京の大学に就職したい、ということになるだろうが、最初の就職では、東京以外でも、どんな辺境地でも採用されれば迷わずに行くべきということなのだ。一旦大学サークルに入ることで、次には希望の大学に移れる可能性が、大学で働いていない状態よりも格段に増す。

野球選手なら、巨人に行きたくても、指名された球団にまず入る。そうすることで、将来、巨人に行ける可能性が高まる。まずは「野球界に入る」ということが何よりも大事なのだ。そう言えば、野球のように、大学の移動にも「移籍」という言葉を使う。最初は、なんか大げさな気がしたが、そのシステムの類似性に考えが及んで、妙に納得した。

どんな世界でも、その世界特有のルールがある。そういった所謂unwritten rulesは、その言葉どおりどこにも書かれていないし、はっきりと教えられることもない。こうした経験を通して、いろいろ想像しながら、少しづつ理解していくのだろう。結局、こういうことをどれくらい理解しているか、ということもサークルの内と外を分けるのだろうか。好き、嫌いはともかく、大事なことではあるだろう。